2011年3月11日
東日本大震災
マグニチュード9.0
東日本大震災は、2011年3月11日14時46分頃に発生。三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする地震でした。マグニチュード(M)は、1952年のカムチャッカ地震と同じ9.0。これは、日本国内観測史上最大規模、アメリカ地質調査所(USGS)の情報によれば1900年以降、
世界でも4番目の規模の地震でした。
被害概要
被害状況等については、まだ行方不明者も多く、全容は把握されていません。緊急災害対策本部資料によると、震災から3ヶ月を超えた6月20日時点で、死者約1万5千人、行方不明者約7千5百人、負傷者約5千4百人。また、12万5千人近くの方々が避難生活を送っていた。
震度
本震による震度は、宮城県北部の栗原市で最大震度7が観測された他、宮城県、福島県、茨城県、栃木県などでは震度6強を観測。北海道から九州地方にかけて、震度6弱から震度1の揺れが観測されました。
その後も強い揺れを伴う余震が多数観測されています。気象庁によると、4月7日に宮城県沖を震源として発生した震度6強の余震をはじめ、5月31日までに発生した余震は、最大震度6強が2回、最大震度6弱が2回、最大震度5強が6回、最大震度5弱が23回、最大震度4が135回観測されました。
(内閣府HPより)
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2011年3月18日南三陸町志津川
友人からのSOS
停電、断水などライフラインがすべて停まった。水や食料、移動手段の車用のガソリンもない。
そんな被災生活が始まった。
地震発生から5日ほど経った夜8時ころ、突然見知らぬ番号からの電話が鳴った。
「助けて。赤ちゃんのミルクがない。このままだと・・・。」
助けなければ。
絶望と後悔
その後、幾度となく南三陸町へ物資を運んだ。
壊滅的な惨状、多くの人が犠牲になった。
心は、先の見えない絶望感と、救助に向かえなかった後悔で苦しんでいた。
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2011年4月1日
復興支援プロジェクトSTEP
設立
南三陸への物資搬送を皮切りに、宮城県内の各被災地域へ物資搬送、復旧等の片付け作業に従事
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2011年12月19日
加瀬沼探検隊カセヌマンズが復興支援プロジェクトSTEPに合併
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2012年1月~11月
石巻市周辺の店舗および個人宅修繕工事のお手伝いを開始
美容院、漁業卸事務所、中華飯店、定期船券売所、復興仮設店舗
個人宅修繕、引っ越しのお手伝いなど
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2012年12月~2013年1月
多賀城市の岩盤温浴店舗および個人宅修繕工事のお手伝いを開始
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2013年2月
2013年2月~現在
宮城県名取市閖上地区は、東日本大震災によって、800名近くが犠牲となり、10年経った今も39名の方々が
行方不明のままです。私たちSTEPは2013年3月から行方不明者捜索活動を行っております。
嵩上げ工事前の町の側溝や広浦湾の海中捜索、水門工事に伴う捜索など、これまでに612回の捜索活動を行ってまいりました。行方不明になられたご本人と、その帰りを待つご家族のために今後も継続してまいります。
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2015年5月~現在
閖上地区を捜索して見つかったお写真や品々を展示し、ご返却する催しです。
これまで多くの皆様にお越しいただき、お写真1,000枚以上、お名前のわかる品々70点以上をご返却いたしました。
『閖上思いで返却会』は不定期ですが、これからも継続して開催してまいります。
おひとりおひとりの大切な思い出を、ひとつでも多くお返しできたら幸いです。
〔これまでの開催会場〕
・名取市市民活動支援センター
・名取市文化会館
・閖上公民館
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写真洗浄 ~Photo cleaning~
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丸森行方不明者捜索 ~Search~
2020年10月~現在
宮城県丸森町廻館地区は、台風19号によって、100名近くが犠牲となり、2年経った今、1名の方が行方不明のままです。
私たちSTEPは2020年10月から行方不明者捜索活動を行っております。
行方不明になられたご本人と、その帰りを待つご家族のために今後も継続してまいります。
一 歩 を 踏 み 出 す お 手 伝 い 。 そ れ が S T E P 。